1836年春、南楊州のマジェ。
74歳の茶山 丁若鏞は、目を閉じる前に最後にすべきことを決めました。
生涯書いた文章を受け継ぐ人を選ぶことでした。
文章を暗唱する人は多かったものの、文章どおりに生きる人はいませんでした。
そこで茶山は、500冊の本から5枚を破って村のあちこちに散らし、
その5枚をすべて解いた人に残りのすべてを譲ると書き残しました。
もちろん実際の歴史ではありません。
去る10月17日から18日まで開かれた第40回茶山丁若鏞文化祭で
リアルワールドが南楊州市とともに披露した体験型コンテンツ
<茶山の最後の弟子> の始まりです。
祭りの二日間、200年前の試験紙5枚がマジェに再び貼られました。
マジェのあちこちに散らばった茶山の破れた紙
マジェは茶山が生まれた場所です。
18年の流刑を終えて戻り、再び18年を暮らして生涯を閉じた場所でもあります。
祭りが開かれた丁若鏞遺跡地と茶山エコパークが、まさにこの村にあります。
人物を称える空間は、たいてい似た方法で来場者を迎えます。
生家を見て回り、業績が書かれた案内板を読み、写真を残す形ですね。
茶山の物語が最も多く残る村でも、それ以上に入り込むのは簡単ではありません。
<茶山の最後の弟子>は、村のあちこちに貼られたポスターを案内物ではなく、
茶山が破った紙として設定しました。
参加者は茶山と会話を交わしながら6か所を順にたどり、
そこに残された問題を解いて茶山の試験を通過しなければなりません。
茶山の実際の業績と記録が問題として生まれ変わる!
最初の問題はすべて、茶山が実際に残した業績と記録から取りました。
茶山文化館の前に貼られた第一の紙は、起重機の話です。
素手では8人がぶら下がってようやく持ち上がる石があり、
滑車を一つ付けるたびに必要な人数が半分に減ります。
滑車の数が異なる絵3枚を見て、それぞれ何人必要かを数えれば解けます。
答えが合うと、茶山が一言残します。
王は費用を節約したと言ったが、自分が節約したのは人であった、と。
丁若鏞遺跡地の第二の紙には、朝鮮後期のある郡の軍布帳簿が置かれています。
役人は9人全員に軍布を課しましたが、
その中には3歳の子どもも、3年前に亡くなった人もいます。
参加者は徴収規定の3行を見て、法どおりならいくら集めるべきだったかを計算します。
計算を終えると、役人がどれだけ余分に取ったかが明らかになり、
茶山がこのような帳簿を見て『牧民心書』を書いたという話が続きます。
このほかにも与猶堂では家の名前に込められた意味を探し、
文化の通りでは正祖の華城行幸の際に架けた舟橋のように、荷を舟に分けて積みます。
茶山について知らなくても、漢字が読めなくても解けます。
必要な情報はすべてポスターに書かれており、ルールを一つずつ追えば答えが出ます。
祭りの現場で茶山を探せ!
五枚目の紙には問題がありません。
ポスターには、茶山が今この村を歩いているという言葉とともに
身なりの特徴3つだけが書かれています。
参加者はエコパーク・ファームマーケット一帯で
黒い笠をかぶり、眼鏡をかけ、扇子を持った人 を探さなければなりません。
見つけて「先生」と呼ぶと、俳優が扇子を広げ、内側に書かれた数字を見せてくれます。
俳優が言うことは「よく来た。この数字を持っていきなさい。」の一言だけです。
ポスターと画面だけを見ていた参加者が、この場面では顔を上げて祭りの人波を見回すことになります。
扇子を広げた茶山と写真を撮っていく家族も多くいました。
茶山が遺言の一番前に書いた一文字
紙を一枚解くたびに、茶山の文章から消されていた文字が一つずつよみがえります。
機械 機(機)
民 民(民)
慎む 愼(慎)
渡る 渡(渡)
師 師(師)
最後の第六の紙では、この五文字を茶山の遺言の空欄に戻します。
得た順に入れると間違うように作られているので、
遺言の文章を読んでこそ正しい場所を見つけられます。
最初の空欄に入る文字は「民」です。
起重機も舟橋でもなく民が一番前に来るのを見ると、
それまでに解いた問題がすべて同じ話だったことがわかります。
最後の空欄は「師」です。その空欄を埋めた参加者が、まさに茶山の最後の弟子になります。
完走画面を案内デスクに見せた参加者には、
茶山丁若鏞のステッカーをプレゼントしました。
次の試験紙が貼られるあなたの村はどこ?
生家、遺跡地、記念館、人物を称える祭りには、すでに物語が十分に積み重なっています。
必要なのは、その物語を来場者が自ら解いてみて、
体験できる形に変えることです。
皆さんの地域にも掘り起こしたい人物や場面があれば、リアルワールドに知らせてください。
そこに合った試験紙を一緒に作ります。
ありがとうございます :)